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新撰組と坂本龍馬

金谷です。
先日2連休があり、家族と京都巡りを初めてしてみました。
京都に住んで10年経ちますが、本格的には動いてなかったので家族を誘って…..。
まず家の近くに、新撰組の駐屯地であった、
      壬生寺、八木邸にいきました。
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近藤勇局長(めちゃくちゃ強い)
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土方歳三副長(これまためちゃ強い)
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実際に新撰組の浪士の内紛があった部屋の壁や畳に本物の刀傷がいたる所にあり、当時の凄惨な場面を思い描く事ができます。
新撰組は規律がかなり厳しく、切腹、殺し合い等たくさんあったようです。
そして、次に新撰組と対立していた、坂本龍馬が京都にきた際には必ずと言っていい程寝泊まりしたとされる
      伏見 寺田屋
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ここに自分の後の妻おりょう、そしておかみさんであり面倒をみてくださったお登勢さんがいたそうです。
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共に龍馬の一番の良き理解者だったといわれていたそうです。
その当時の空間を感じに行くと、土砂降りの日でしたが朝から、その付近が歩けない位の人だかりや車の往来で
丁度今福山さんの龍馬伝のせいも手伝い大繁盛でした。
龍馬がもし存在しなければ、幕末~明治維新のタイミングが遅れ今の日本の状況が全て変わっていたともいわれております。
剣術をひたすら磨き、強いものが弱いものを排除していく時代の中で、それに矛盾を感じ、北辰一刀流の剣の達人
でありながら自ら剣を捨てそれまでの日本の概念を変える為に、脱藩し、最後まで日本の為に尽くし続けた33歳
という短い生涯を閉じた若者に傾倒しております。
生まれは土佐(高知)で京都で薩長同盟を成し 長崎で世界の海援隊を創り 300年15代続いた江戸時代を大政奉還で終わらせた最大の立役者でした。
最後は河原町蛸薬師に当時あった近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲撃されて新しい時代の幕開けを見る事無く
志半ばで絶命したそうです。
左 中岡慎太郎  右  龍馬 
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最後に龍馬が残した有名な言葉
 「四、五十人も人数が集まれば、一人ぐらい異論家はいる。 いるのが当然でもある。 その一人ぐらいの異論を同化できぬおのれらを恥ろ」
「人生は一場の芝居だと言うが、芝居と違う点が大きくある。 芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。 なまの人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、 その上で芝居をするのだ。他人が舞台を作ってはくれぬ。」
「剣に頼らず、法律と常識に頼れるような日本にしたい。」

『世に生を得るは、事をなすにあり』

今一度日本を洗濯致し候。
素晴らしい言葉ですね。
昔日本にこういう悲惨な時代があり、そしてその中で自分の命を国の為に尽くすという今の時代ではとても考えにくいですが現実に存在していた事自体に感動しています。
最後に最近よく自分に似ている楢崎GKを画像つきで紹介します。
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